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NHK番組 にっぽん百名山「藤原岳」2016.06.23放映、を見る。
                                      藤原 昧々

ひとことで感想を述べれば、「王さまは裸だ」、つまり「『花の百名山』藤原岳はもう「枯木の山」だとNHKが知ってしまったものの、番組制作上、引っ込みがつかなくなった苦しみがにじみ出た中途半端な報道だった。

藤原岳は深田久弥の「日本百名山」に入る山ではない。 ただ、田中澄江がそのベストセラーになった著書「花の百名山」に大きくとりあげてくれたことがあり、田中氏同様に、全国の植物の専門学者たちからも自然の豊かさで全国的にも高い評価を得てきた山である。 しかし、地元の自治体・いなべ市や三重県行政からはそれ相応の評価や保護を受けてはこなかった山である。 深田は登山者に知られていない山を「不遇の山」と称した(不適切な表現だと私は思う)が、地元行政から大企業所有の山として敬遠され、開発と荒廃への対策を放棄されてきた花の名山の意味ではまさに「不遇の山」と言えよう。

近くに在む藤原岳植物にくわしい友人といっしょにビデオの再放送を見た。 彼は、三重県のレッドデータブックの植物部門の執筆者の一人で、大企業の開発や活動による希少植物の激減・消滅への具体的な指摘と注文をあけすけに書くたびに県の編集担当者から文章の訂正を求められて困ると始終こぼしてきた人物だ。


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ネコノメソウは葉が対生            三重県にミチノクフクジュソウは見つかっていない

その彼の指摘によれば、この番組のなかに、大きな誤りが2点あった。 ヤマネコノメソウがネコノメソウと、エダウチフクジュソウがミチノクフクジュソウと画面に大きく明記されていた点である。
ヤマネコノメソウは葉が互生、ネコノメソウは葉が対生である。初歩的な誤りである。

とくに後者の「ミチノクフクジュソウ」なる名前は、番組のあとで、「三重県あるいは藤原岳にもミチノクフクジュソウがほんとうにあるのか?」という問いあわせが各方面から寄せられるのではないか、という懸念を彼は語っていた。 三重県での「シコクフクジュソウ」の存在は知られてきたが、まだミチノクフクジュソウは県内では発見されていない花である。

番組の花の名は案内者が語ったものではなく、誰か背後にしかるべき監修者がおられてのもののはずだが、まちがいとはなんとも情けない。  私は藤原岳の案内者を山登りの練達者として尊敬するが、人気報道番組の花の名前をわずか数個のうちで2つもまちがえて放映するのは製作者の責任に他ならない。 4月中旬の撮影で、6月の放映である。 監修の杜撰さには、あきれてしまう。

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ヤマネコノメソウ                エダウチフクジュソウ

このNHKの藤原岳特集を見て、私は他の「にっぽん百名山」のBS番組も同レベルの、まちがいの多い、いい加減な内容なのか、と初めて疑問をいだいたものだった。

番組の途中には、「休憩するときの注意」など、要らずもがなの時間かせぎがありもっと花の紹介が欲しいともどかしかった。これは山歩きの注意事項として番組の定番にしてあるのだろう。 しかし、4月中旬の撮影とはいえ今年は異常暖冬だったから、多くの花の紹介に枚挙の暇がない、妍を競う花々の応対に30分番組のどこをどう削って編集するかに制作者は苦心するはずだが、いっこうにその苦しみが感じられない弛緩しきった内容だったのだ。 案内者もカメラマンも製作者も、「花の百名山」にしては、この山のあまりの目につく花数の少なさに困り果てたのではないか。 なにしろ8合目までで紹介した花の数はわずかに5個である。
私の10数年まえの経験ならば、その10倍の50数種の花の名は現場で詳しい方から聞けたであろう。

余談ではあるが、あの地図のグーグル社の藤原岳の紹介写真では、山頂をかざる5月の「高山植物」は、いまや太平洋セメントの「鉱山植物」である帰化害草・ハルザキヤマガラシの黄金なす群落が見せ場となっている。 企業の開発にともなって、害草ははびこり、シカの食害もひどくて山頂部は丸はだかの惨状であるが、ハイカーの見方はさまざまであろう。今もたいへん人気の山である。
しかし、「花の藤原岳」はいまや「死に体」である。

現在のNHKに対して、花数の激減、大企業の採掘活動の影響や地元行政の山の保全への取り組み不足を訴えてキャンペーンしてほしいと本気で期待して、私はこの番組を見たわけではない。 
ただ、いつも街道から見る、裸土がむきだしのあの不毛の、「夏の大三角形」ならぬ「北勢の大三角形」は心なしか画面に靄かボカシが入っていて、心に突き刺さるいつものあの痛みの印象はテレビの画面のどこにも出ていなかった。
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北勢の「大三角形」                 藤原岳孫太尾根の現状

結局、番組は、田中澄江が感動したというミノコバイモ(当時はアワコバイモ)を核にして編集され、時間をもたせてあった。 (彼女の「花の百名山」と小泉武栄「山の自然学」の書については、本ブログにもすでに紹介ずみである。)

彼女は当時つぎつぎと路傍に咲く草花にであってその著書にこう記している。
「藤原岳には花が多いという。 去年の春、大台ケ原の大杉谷を下った帰りにバスをまわしたが、二日目の下りから降り出した雨が、強い風まじりのざんざん降りとなったので、民宿のかたわらにある藤原岳自然科学館で、館長の清水実氏から、映画や展示物の説明をうかがった。」
著者は2回目の藤原岳の訪問で、路傍の、「エイザンスミレ、イチリンソウ、ニリンソウ、アズマイチゲ、エンレイソウ、キクザキイチリンソウ、フクジュソウ、レンプクソウ、カタクリなど」の花々を愛で、八合目付近の谷では、アワコバイモ(ミノコバイモに訂正)やヒロハノアマナを初めて見て「それだけで登ってきた甲斐があった」とその感激を綴っている。

NHK番組にもどるが、藤原岳の今年の4月中旬ならば、数は激減したとはいえ、ほかにもニシキゴロモ、ミヤマキケマン、ミミナグサ、ツクバネソウ、ホウチャクソウ、ハクサンハタザオ、トウゴクサバノオ、タニギキョウ、マルバコンロンソウ、ユリワサビ、ケスハマソウ、シロバナネコノメソウ、スズカボタン、コセリバオウレン、キンキエンゴサク(ヒメエンゴサク)、キバナノアマナなどの花々が見られたはずであろう。 スミレ類だって、放映のタチツボスミレのほかにも、ナガバノスミレサイシンとかシハイスミレなどがきっと見られたのではないか? 長く鈴鹿の山を歩いてきた植物音痴の私でも、そんな疑問をいだいた。
 
監修者の怠慢と番組制作者の弛緩と不勉強、それは籾井会長体制下のNHK報道の低迷ぶりを象徴するものではあるが、今回の「藤原岳」特集にながれる安易な映像や報道の不首尾には私は正直、驚いてしまった。 
藤原岳を愛し親しんできた私にも、地元のいなべ市にも、この報道はたいへん残念なことだった。

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ミノコバイモ                   ヒロハノアマナ

 
                                  2016.06.25 記


NHKの視聴者対応部門に、住所・実名で感想を送付したが、7月19日現在、なにもご返事をいただいていない。
















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山は誰のものか
              藤原昧々

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   積雪期の藤原岳          早春の展望丘とフクジュソウ       新雪とマユミ


かつて藤原岳は、多志田の渓谷をふくめて、その美しい景観と、「花の百名山」の名に恥じない多種・豊富な貴重植物や生物にめぐまれた文字どおりの「名山」であった。 しかし今、私たちの目の前には、裸形の山容と荒廃しきった自然を曝す「藤原岳」しか存在しない。

アセスも済んだ今、当然のことながら、私たちの要望が、会社に対して現行のセメント生産や廃棄物処理業務を中止するよう求めているわけではない。 企業活動にともなうやむをえない自然への損失・弊害の縮小と是正を求めているだけだ。このためにこそあのアセスメントはあったはずではないのか?
私たちは、失われていく自然景観や貴重な自然と生態系の維持と保護、そして希少種の保存、をできるかぎり推進するよう、会社をはじめ、地域のいなべ市行政と教育委員会に訴え要請する活動をつづけている。

アセスメントが終了し県の認可がおりて、会社は鉱区拡張を開始したが、県の認可条件たる自然の保護措置に当の会社が積極的な努力を示す状況は見られず、また、その実施過程の公開もまだない。
いなべ市と教育委員会も、「藤原岳は太平洋セメント株式会社の私有地だ」としてさっさと身をひき、生物保護への関与と取組みをいっさい放棄し果てている。 「いなべ市が誇るべき自然」と県知事が意見書の冒頭で賞賛した藤原岳へのこうした無関心な態度は、彼らの議会での答弁に如実に示されている。(当ブログ、いなべ市議会答弁) 

セメント鉱山をかかえる多くの他の自治体の自然保護への啓蒙や取組み例などと比較すると、これほど故郷の山にたいする愛情と畏敬の念に欠ける市町村自治体は全国でもめずらしいのではないかと思えてくる。 大学の植物関係の先生方の間からも、いなべ市の関心の低さが、いま大きな顰蹙をかっていると聞くのもうなずける。  県もアセスメントの答申をふまえ、認可にともなう様々な指示は出したが、その適切な指示を会社に徹底させ指導・監督する責務をもっと積極的にはたしてほしい。

山は誰のものなのか。 ひとり所有者たる一私企業の占有にとどまるのか? 地域自治体は企業に対してなんらの口だしも規制も及ぼせないのか?
その疑問に答える力づよい文章を筆者はこのほど目にしたので、以下にご紹介したい。
川口久雄・全訳注「和漢朗詠集」講談社学術文庫 解説(P.619-620)より引用させていただく。    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  勝地(しょうち)はもとより定まれる主(ぬし)なし
  おほむね山は山を愛する人に属(しょく)す

― すぐれた風景の土地は、がんらいきまった所有主があるわけではない、だいたい山というものは、それを愛する人のもちものなのだという意味です。符牒のように「白(はく)」という字がそえられています。白楽天の詩の文句だという、それだけのコメントです。   キリストを描こうと、売笑婦を描こうと、きびしさとやさしさに溢れた目をもっていた画家のルオーが「人が深く愛した土地は、同様におそらく私たちを愛しているのだろう」ということばを引いています。
 フランス・ロマン派詩人のシャトオブリアンは「自然の美しさは見る人の心のうちにある」といいました。 
西欧社会にも通用する普遍性をもった断章ですから、もちろん我が国で、道元禅師が永平寺山中にこもって、『山居十五首』を作り、 
  我れ山を愛する時、山 主を愛す
という偈(げ)を作って山を讃えるのも、日野山の草庵で『方丈記』を書いた長明法師が、
  勝地は主なければ心を慰むるにさはりない
というのも、自然にうなずかれるわけです。
              川口久雄・全訳注「和漢朗詠集」講談社学術文庫 解説より

       ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・       
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   イワザクラ                カタクリ              フクジュソウ
 
 
昭和の初期であろう。セメントに目をつけた太平洋セメントの前身企業が、地元地区民たちから札束で藤原岳の主要部と御池岳の半分を購入し私有地とした。  戦後、周辺は、鉱山区をみごとにくっきり線引き分離した上で、「鈴鹿国定公園」に指定された。 鉱業法のためその最も貴重な核心部は国の公園法がまったく及ばない私企業の聖地として法の規制からはずされた。 時代にそぐわなくなった鉱業法と私有権の専権が、屈指の景観と日本の貴重な生物種の多くを一顧だにせず、破壊・消滅させ続けてきた。点睛を欠いた画龍たる情けない「国定公園」を三重県民はずっと甘受せざるをえなかった。戦後間もなく成立し、以後、環境サイドからの改変なき鉱業法ゆえに。 
いまの鉱業法は、戦後の復興を石炭エネルギー増産に托して生まれた法律だといわれる。 石炭がその役割を終えた今日、その時代遅れの法の強大な権限は、地域の環境・健康・安全・福祉、国民の自然財産などに配慮した改変がなされねばならなかった。 諸悪は鉱業法にあると断ぜずにはいられない。

炭鉱や造林とちがって、セメント山は、所有する企業がみずから山体を破壊し食い散らし消滅させる。
そこに生きる地域住民の目と胸には、故郷の山である慣れ親しむ自然景観が削られ、むきだしの破壊の惨状がもろに突きささってくるのだが、それもいつか原発の町の一部の人のように慣らされる(?)悲しい風景なのだろうか。 それにしても、子どもたちが日々目にする山の景観であることには違いはなく、胸がいたむ。

セメント山の原風景を印象的に描いた、五木寛之「青春の門・筑豊編」の書き出しの部分は、すでにこのブログの拙稿(2012年8月)でご紹介してある。 五木氏は筑豊の山・香春岳を、「醜く切りとられて、牡蠣色の地肌が残酷な感じで露出している。」 「膿んで崩れた大地のおできのような印象を見る者にあたえる。」「山の骨が肉を破って露出しているように見えた。」などと描写された。 しかし彼は、それでいて「目をそむけたくなるような無気味なものと、いやでも振り返ってみずにはいられないような何かがからみあって」、「奇怪な魅力がその山容にはあるようだ。」と、屈折した一種のなつかしさをこめて振り返っておられる。

景観も自然保護もたいせつだけど、日本にセメントは必要だからなあ・・・の声が聞こえてくるようだ。電気はなあ、安保はなあ・・・の調子で。大事故が起きても原発に理解を示し、沖縄のみに基地をおしつける例のトーンで。  しかしセメントは国内でひどく過剰になり生産は往時の半分まで落ちこみ、しかも輸出が生産の2割を占めること、各地で閉山があいついだ歴史を知っている人は本当に少ない。 今のセメント産業は、高温度の石灰焼却にともなう産業廃棄物処理業へと営業の力点は移行しているという。 藤原工場もそうだ。

藤原鉱山は操業開始からもう80年余が経過した。更に50年間の鉱区拡張に向けた今回のアセスメントがきっかけで、藤原岳での貴重な動植物の意外な新種の生存があらためてつぎつぎ知られることになった。
本来ならば、消えゆく運命にある生物の実態調査を当の会社や地域自治体の教育委員会が主になってこれまで遂次調査し記録に残すことがあって良かったのではないか?  故郷の自然をたいせつにするということは、消えゆくものをそこに残せなくても、せめてあったものを記録に残すことではないのか?そのためには、削っていく会社も地元の専門家も、協力して私有地であろうとも現場に入り調査し記録し公表することをやるべきだった。国定公園の広大で貴重な核心部分が長く消えるがままに放置されてきた残念な過去の意味、消えていった未知の生物を問わずにはいられない。
数次のアセスメントから得られた有識者の答申でも、希少な種やレッドデータに関係する新たな種の保護と保存を会社に要請している。 今後のことだが、肝心のいなべ市が会社と対話し自然保護に前向きになってくれなくてはどうしようもない。(本会のブログには、過去のアセスメントの審議内容と結果の答申が記載してあります。)

さて、山や海は誰のものか?
「勝地は主なければ心を慰むるにさはりない」の鴨長明や多くの日本人の感慨も、セメント会社、観光開発業者、ホテル、ゴルフ会社、原発などの巨大な企業の発言力と資金力の前に次第に過去のものとなりつつあるようだ。


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子達の目に映る藤原岳   天下の印籠・社有地標識    非・国定公園の「花の百名山」



付録 ・・・ 事業認可にあたっての県知事意見(抜粋・要約) 2011年1月26日付け

☆ 藤原岳は、石灰岩地特有の動植物が存在する、いなべ市が誇るべき自然であることから、事業の実施にあたっては、十分な環境配慮を行うこと。

☆ 事業期間50年の間に、三重県レッドデータブック等の重要な種の選定が更新された場合には、環境保全措置を行うこと。

☆ 準備書に記載されていない動植物の重要種について確認し、環境保全措置を行うこと。

☆ 地形改変により既存の植生等に大きな影響が見られる場合には、環境保全措置を行うこと

☆ 植物の移植にあたっては、事前に十分な試行を行ったうえで適地に移植し、移植後も生育状況の確認を事後調査で行うこと。 その際、移植候補エリアの環境の調査を移植前に行い、移植を行う植物の生育条件に適した場所に移植を行うこと。 また、移植先の既存の植生に対する二次的な影響についても考慮すること。  重要種の移植を行う株数についても、評価書に記載すること。

☆ 供用開始時までに、マレーズトラップ法及びフィット法による昆虫類の調査、予測及び評価を行い、環境保全措置を行うこと。

☆ XXXXマイマイについては、移殖を前提とせず、可能な限り、事業の影響を回避・低減する方法を検討すること。

☆ イヌワシの採餌環境創出のための林冠ギャップは、試験的に施工し、その効果を確認してから行うこと。なお、施工前にギャップの施工箇所の動植物に対する調査、予測及び評価を行い、環境保全措置を行うこと。

☆ カモシカ、および埋蔵文化財包蔵地である治田銀銅山の保護・保全に努めること。

☆ 水質に関しては、必要な調査を、現況及び採掘が行われる供用中の一定期間ごとに行い、環境保全措置を行うこと。

☆ 土壌については、カドミウムの直接摂取のリスクを踏まえ、土壌含有量調査を行うことも検討すること。

☆ 三重県景観計画に基づく景観形成基準に配慮した事業計画とすること。

                                                   以上








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  ― 田中澄江「花の百名山」と小泉武栄「山の自然学」より             藤原昧々

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「花の百名山」(文芸春秋社 1980年)は、山と草花を生涯にわたりこよなく愛した作家・脚本家の田中澄江氏(1908-2000)が執筆、発表した山の随筆集である。 同書は第32回読売文学賞(随筆・紀行賞)を受賞している。 以下、フリ-百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』などに依拠して紹介の文を綴ってみた。 
この書は全国に大きな反響を巻き起こし、深田久弥のあの「日本百名山」(1964年刊行。この書も読売文学賞受賞)に対して、〈花の百名山〉という新たな呼称と彼女選定による百座の認容と定着が広くなされるきっかけとなった。 その後、彼女は1995年(平成7年)に新たに選定し直した百峰(藤原岳は再選)の花と歴史のエッセイ「新・花の百名山」を出版して読者の要望に応えている。 また同年には、NHKの衛星第2テレビで、「花の百名山」が毎週10分のテレビ番組として放映され、ビデオ化、DVD化がなされて一層の広い関心とブームを喚起した。 その後、山と渓谷社からは、いくつかの山の選定が見直され、同社の「花の百名山登山ガイド」シリーズが刊行され、さらに朝日新聞社からは、『週刊 花の百名山』の朝日ビジュアルシリーズが出版されたりして、花の豊富な山々とその草花への国民的な関心はいっそう高まることとなった。

三重県北勢部に住む私が特筆したいことは、田中氏の選定以来、どの社の版でも鈴鹿山系の藤原岳は全国山岳中、百選での常連様であり、低山ながらも、同山がまさに全国屈指の花の名山として常に選ばれ長く人々に愛されてきたという事実である。
三重県の山岳の中で百選に入るのは、まず田中氏の「花の百名山」と「新・花の百名山」に大台ケ原山(1695m)と藤原岳の2山があり、NHK衛星第2放送版では藤原岳、御在所山、大台ケ原山であり、山と渓谷社シリーズの選では、藤原岳、鎌ヶ岳、大台ケ原山となっている。


田中澄江「花の百名山」の297頁「(84) 藤原岳 ― アワコバイモ(ユリ科)」の項を開いてみよう。 ここでまずブログ読者に訂正をしておきたいことは、当時「アワコバイモ」と私たちも称していた主題のユリはその後、専門家の指摘により、「ミノコバイモ」と名を改めている(ミノコバイモとアワコバイモの相違は、葯の色が白色か紫褐色かで見分けるそうだ)。

彼女の最初の藤原岳訪問は生憎の悪天候により不発に終わっている。その項の出だしはこうだ。

「藤原岳には花が多いという。 去年の春、大台ケ原の大杉谷を下った帰りにバスをまわしたが、二日目の下りから降り出した雨が、強い風まじりのざんざん降りとなったので、民宿のかたわらにある藤原岳自然科学館で、館長の清水実氏から、映画や展示物の説明をうかがった。」
とある。
余談になるが、この時、田中氏は「館内に飼われているマムシにぞっとし」、そして「伊吹山の近くで、ヤマトタケルノミコトは毒蛇にやられてそれがもとで死なれるのである。 毒蛇とは被征服民族のことだといわれているけれど、私は、本当はマムシにやられたのではないかと思っている。」と記している。
一年後の4月20日すぎに、再度、彼女は藤原岳を訪れた。 
「今回は一天雲のかげすらない日本晴れであった。」
当日の案内も「藤原岳の自然を観察し、保護することに情熱をそそぎこんでおられる清水氏(当会顧問)」で、聖宝寺からのコースを登って大貝戸道のコースを下っている。 次々と現れる野生の花々に「こんなに見るのははじめてである。すばらしいを連発したら、清水氏が暗い声で言われた。 以前はもっともっと多かったのに、心なく採るひとがいて、すっかり少なくなりました」と。
著者は路傍の、エイザンスミレ、イチリンソウ、ニリンソウ、アズマイチゲ、エンレイソウ、キクザキイチリンソウ、フクジュソウ、レンプクソウ、カタクリなどの花々を愛で、八合目付近の谷では、アワコバイモ(ミノコバイモに訂正)やヒロハノアマナを初めて見て「それだけで登ってきた甲斐があった」とその感激を綴っている。
最後までマムシにも会わず、「季節をかえてそれぞれの花の盛りに、何べんでもまた、藤原岳に来たいと思った。 頂上から北西にむかい、石灰岩地特有の風景をもった天狗岩から、御池岳の方へもいって見たいと思った。」 という文で藤原岳の稿は終わっている。 彼女は鈴鹿山系の霊仙山、御池岳(コグルミ谷より)、御在所山にも足跡を残している。

田中澄江氏のように、藤原岳の多種多様な花々の数に圧倒され驚喜される登山者や識者は多い。 岩波新書「山の自然学」の著者、小泉武栄氏もその一人だ。 同書の204頁、「23. 江戸時代からの花の名所 ― 鈴鹿山脈 藤原岳・伊吹山」の書き出しは以下のとおりだ。
「鈴鹿の花は春がいい。 五月の連休頃、藤原岳(1140メートル)を訪ねると、花の多さに圧倒される思いがする。 カタクリ・セツブンソウ・キクザキイチゲ・アズマイチゲ・イチリンソウ・ニリンソウ・ヤマエンゴサク・アワコバイモ(ミノコバイモに訂正)・ヤマブキソウ・ヒロハノアマナなど、まさに春植物のオンパレードである。 また時期を少しずらすと、イカリソウやヤマシャクヤクも咲きはじめる。」

氏は同書で、「北隣にある伊吹山とともに江戸時代から花の名所として知られてきた」藤原岳が「なぜ、これほど植物が多いのだろうか」という疑問に対する説明をいくつか列挙されている。 内容を掻い摘んで紹介すると、

地形的に本州で最も狭隘な場所に位置するために、動植物の移動にとって関所にあたるところにあり、さまざまな植物が残りやすい。
石灰岩地質の山であり、それ特有の特殊な植物が多数分布する。 
石灰岩の風化に起因するカルスト地形という特殊な土地条件があり、山の稜線部の土壌の薄さと乾燥しがちな土壌が高木の生長を妨げ、林床の植物にはありがたい好環境をつくっている。
冬期の季節風がもたらす多雪が日本海要素の植物や亜高山性の植物の流入に適し、また雪解け直後の豊富な日射が林床の植物に有利に働く。
藤原岳は、もともと暖帯に属する気候条件下にあり、ここを本来の生育地とする太平洋側要素の植物も多い。

などの要因で豊かな植物相が維持されているのである、と説明される。
「これほどの花の山だとは知らなかった」氏の一行は、「予想をはるかに越えた数多くの植物を見ながらの登山」となり、次回は日帰りでなく「麓で少なくとも一泊はしようと反省」したと記しておられる。

藤原岳は、今般、太平洋セメントの採掘鉱区の拡張(50年間)にともなうアセスメントがきっかけになり、地元や他県の専門家たちの調査が進み、増殖するシカ放置による山の荒廃と植物の激減という深刻な被害の現実が存在する一方で、意外にも近辺で、三重県のみならず全国でも貴重な植物の生育が多数発見されるようになった。 今後、年間を通じた更なる調査によっては、まだまだ新しい発見が十分に期待されるのである。

今回の一連の調査によって注目されてきた植物名を、本会会員K.Y氏による当ブログ2013年5月18日の論稿「三重県産ミシマサイコ属の一新種」などを参照させて戴きながら、以下に列挙してみた。

ステゴビル、ヤセホタルサイコ、マルバサンキライ、シコクフクジュソウ、ヒメニラ、エゾスズラン、セリモドキ、
そのほか注目される種には、フキヤミツバ、イワザクラ、オオキヌタソウ、イワツクバネウツギ、アサダ、キンキマメザクラ、イワタケソウ、コトウカンアオイ、ミノコバイモ、イチョウシダ、 などの貴重な植物が多数ある。

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左より順に、ミノコバイモ、ステゴビル、フキヤミツバ、イチョウシダ

最後に、地元のいなべ市の対応について一言ふれたい。 市へは、増殖する鹿への抜本的対策、登山道の整備、山荘のトイレ改築など緊急に手をうってほしい施策は数多いのであるが、行政の関心は実に低く実施は遅々として進んでいない(山荘のトイレは今年度着工予定で感謝!)。 行政にとって、郷土のイヌワシやカモシカ、山の花々などは、どうなっても構わないというのだろうか。

a0253180_16523122.jpg いま、筆者の手もとには、〈ふるさといなべ市の語り部〉編集の冊子「ふるさとの紹介」(平成21年)がある。 その第1頁には、「山紫水明の地いなべ市」の藤原岳を「全国屈指の花の山」の名で紹介し、「一年を通じて花が楽しめる自然の宝庫」と記されている。 同冊子の「序」には、「今日まで大事に守り育てられてきたことや語り継がれてきた有形無形の文化財を祖先からの贈り物ととらえ、私たちも後世に伝えていかなければなりません。  先人の心や知恵にふれ、郷土を愛し、郷土を守り育てていく市民、特に若い人たちにその願いを託したいのです。 たくさんの方々にいなべ市を知っていただきたいことと、美しい自然を守り、市民が躍動するいなべ市であってほしいという思いから、この小冊子を作成しました。」と綴られている。 
この語り部さん方の切々たる思いに対し、同じ地元の行政の方々は郷土の深刻な問題解決にもっと真摯にとりくんでいただきたく思う。 

「いなべ市の自然は市の大きなブランドだ」と強調された市長のもとにありながら、市の教育長の市議会定例会(平成25年第4回)での答弁は、「現地に行っていない」「太平洋セメント(株)の土地であり即答できない」といったまるで我関せずの内容であったようだ。 なにしろ何回も実施された県による藤原岳のアセスメントに市の関係職員がかつて一度も一人も傍聴に参加されてこなかった寒々とした事実にこそ、いなべ市の、藤原岳の自然保護に対する関心の薄さが痛感されるのだ。
「最後の川が汚染され、最後の魚が獲られたとき、初めて、我々は《お金を食べて生きていけない》ことに気づくのです。」 こんな言葉が私の胸に浮かんできて仕様がない。

全国各所でリストラのために廃棄されてきた大型セメントプラントと沈滞した企業城下町の実態は、一部マニアたちのツアー対象の画像としてネットの録画でいくらも見ることができる。 大企業によりかかるだけの無気力な依存体質では地方はいつまでたっても自立し強くなれない。 きれいな空気と水と自然の郷土を回復し、山の自然を活用し森林資源を見直した地方産業の再構築を構想しなければ地方の再生はありえない。 鉄とセメント重視から樹木の有効性活用への転換をはかり、森林資源を生かした再生エネルギー産業と新規の製材産業の復興という道も欧州先進国の先例から学ぶこともできる。 しかし、旧態已然の鉱山法や建築基準法などのしがらみや、製鉄業、セメント産業、新建材産業といった既得権益に支えられる日本の産業構造全体にも問題が多そうであり、立ちはだかる障害は大きい。 それに何と言っても、藤原岳は山全体が一私企業の所有物、私有物だという厳然たる現実がある。 

今の藤原岳は、「花の名山」どころか、唯一残された登山道は上部でずたずたになり、山肌は随所で崩落する荒れようであり、行政によるシカ放置によって完全に裸地化した頂上部の平原は、隣接するセメント鉱区から運ばれた外来植物が一面に蔓延する無惨な荒れ野と化している。
とても、「全国屈指の花の山」などと言えたものではなく、将来、入山禁止の山にもなりかねない。 
まず、全国で9倍に増えたというシカへの対策が急務であり、行政の無策・放置は怠慢であると声を大にして言いたい。

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 保水力を失い豪雨で亀裂ができた山肌、     裸地に進入し蔓延する外来種のハルザキヤマガラシ

      
                     (2014.01.09 記)

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藤原岳を大貝戸道で登ったが...               藤原昧々  2013.4.16

 いま「花の百名山」藤原岳は、鉱山会社によるセメント採掘、増殖する鹿による食害、行政による登山道整備放置という三つの大きな要因によって荒廃の一途をたどっている。
 今春の3,4月に藤原岳を登ってみて年々の山の荒れようが加速度的に進行していることに大きな脅威を感じた。  4月16日の朝、植物調査のため同行して下さった先生のお一人が大貝戸道4~5合目の長い直線道の折り返し点の手前で谷すじ側にリュックを置かれたところ、突然、リュックは岩石のようなすさまじい音を発しながら樹林の間を落下していった。 大貝戸道の東側の谷は樹木や草で隠れているが実態は予想以上の崩壊が進み谷は大きく抉られている。そこへリュックは転がり落ちていって谷底でとまった。マンションでいえば7~8階からくらいの落下で、もしリュックのかわりに人物であったら斜面とはいえ大きな事故につながったかも知れない。最も歩き易く、唯一残された登山道の大貝戸道。その路傍の穏やかそうな草・木の真下に急斜面と恐ろしい亀裂が口をあけていることをほとんどの登山者が気づかずに歩いていることを思うと慄然とする。
 なにかの人身事故が起これば大貝戸道も通行禁止になり、藤原岳は既存の3つの登山道すべてが鎖される「禁制の山」「入山禁止の山」となりかねない。
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 7合目から8合目への大きな亀裂も気になるが、8合目から9合目にかけての各処の雨裂は無数にあり山の荒廃ぶりをつよく印象づけた。 登山道が整備されていないため、登山者で混みあった時や雨で道がぬかるんでいると、近道をしたり歩きやすそうな斜面を通ったりして人が勝手に踏みまわし、いっそう斜面が荒れていく。 しかも増殖したシカが草も稚木も食べつくし斜面の土の保水力が失われているので、少しの雨でも表土が流れ落ち、豪雨となれば雨裂の増大は一気に増す。 おそらく手のうちようがないほどの悪化ぶりで、かつて一面のお花畑だった大斜面は赤土と岩石だけの荒廃した亀裂帯となるだろう。
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 今回、太平洋セメント会社はふたつの開発予定鉱区のうち、イヌワシの生息が確認された藤原岳の孫太尾根の掘削を断念したが、藤原岳頂上三角点付近から見ると、現行(他社)の孫太尾根北東斜面の掘削の規模と進行ぶりはすさまじい。 往時の名渓、多志田渓谷はこの孫太尾根北東斜面と藤原岳本峰南斜面の両側からの掘削により谷は埋まり荒れはてて凄まじい変貌ぶりをみせている。
孫太尾根は今回の調査でも数々の植物学上の新発見があり、先生のひとりは「日本有数の貴重な山」と賛嘆の声を惜しまれなかった。 日本の石灰山は社会の必要上、その蔵する多彩な希少種と貴重な生態系まるごとが破壊される宿命にあり、まことに残念としか言いようがない。 こんな言葉がふと胸に浮かんだ。「最後の川が汚染され、最後の魚が獲られたとき、初めて、我々は《お金を食べて生きていけない》ことに気づくのです。」
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 たくさんの登山者と出あった。フクジュソウ(鹿は食べない)やネコノメソウ類、スミレ類がお目当てなのだろうか。 それにしてもかつて感動したキンポウゲ科を中心にする美しい花の数は悲惨なほど減ってしまった。 大型のカメラと三脚を抱えた人たちに話かけてみると異口同音に「登山道がひどい」と言う。 「セメントは社会に必要だからなあ、地元の雇用もあるし」と言う方もいた。 セメントは東北震災の今も全国で過剰であり、各地で閉鎖された鉱山の社員がここで働いていて地元の雇用にはほとんど関係ないらしいが、コメントせず黙っていた。 写真を撮りにきて失望された方々にお願いしたいことは、セメントのことは置いても、シカへの過密対策や登山道整備の要求を地元自治体や県にぜひ伝えて欲しいということだ。
 今回、本稿にも藤原岳で増殖するシカの実態写真を紹介したかったが持ちあわせていないので、隣接する御池岳の過去の写真2枚を掲載した。 一帯に盤踞するシカ一族の一列行進の写真と、草を喰むシカの群れ及び左端で周囲を警戒するボス鹿?の写真だ。 とっさの手持ちで望遠の撮影のためにボケている。
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  いなべ市日沖市長は「いなべ市の自然は市の大きなブランドだ」と話されたと聞く。 その日沖市長の任期中に全国に知られるこの屈指の「花の百名山」が無策のなかで消滅したとすれば市長もきっと残念がられるだろう。 郷土の誇りである藤原岳だ。 その自然対策に日沖市長やいなべ市教育委員会が過去にどれほどの関心と努力を惜しまれなかったか、また今どのような施策を講じられるかが今後も問われている。
 シカ対策と登山道整備、鉱山区以外の山地の自然回復、これらをまず訴えない限り、太平洋セメントに対して再開発の問題や移植の実行をいま云々するのが私には正直はばかられる。 あまりにもひどい現状だ。 筆者は事情があって2年間藤原岳にご無沙汰していたとはいえ、今回、自分のあまりの不明を恥じる気持ちでいっぱいだった。
 花を撮りに来られた皆さんにお願いしたい。 いなべ市と三重県に対して、対策を要請する声をぜひ寄せてほしい。皆が動かなければ行政はなかなかやってくれない。

 最後に、今回の登山で目にした花の写真をいくつか紹介して 悲しい報告を終えたい。 
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  会社は「移植する」など、保護対策の約束を守るのか?          藤原昧々
                                                  
2010年12月に県環境影響評価審議委員会でのアセスメントが終了し、2011年の正月早々には委員会答申が出て、1月26日には知事意見による様々な条件のもとに事業ゴーサインの表明がなされた。
この2013年2月より、太平洋セメントはいよいよ準備工事の着工にとりかかり、今後、資材の運搬から、トンネル発破、坑道掘削などの工事にとりかかっていくという。
ところが、答申からまる2年が経過したが、会社側からは彼らがアセスメントで確約した重要動植物の移植について、関係者へのなんらかの相談や着手の報告は今のところいっさい無い模様である。鉱区予定地の植物再調査への協力依頼に対しても消極的な態度を示しており、このまま会社が移植にとりかからないまま工事が進めば、藤原岳の貴重生物はその遺伝子すら消えていくことになりかねず、由々しい事態となる。 
県やいなべ市の関係者は行政官庁として会社に対して移植事業の実施計画なり具体的日程表の作成と公表を指導・監督していただきたい。

県の環境影響評価審議委員会において事業者側の太平洋セメントが委員と行政および市民に対して約束した内容は、すでに本ブログ 2011年12月25日の記事で「付録:事業者側の回答 (抜粋)」として列記してあるが、再度確認のため、以下に整理して記載することにした。
貴重な動植物が鉱山開発によって消滅していく事態に対して会社には誠意ある実行をお願いしたい。ことは太平洋セメント株式会社という会社イメージにも直結する社会への約束事であり、この実施が無視されたら、今回のアセスメントも「アワスメント」になり、県民の税金が無駄づかいされたことにもなる。
マスコミの方々もこの問題を真剣に調査し報道して欲しい。

本ブログでは、ゴーサインにあたって県知事が公表した会社への要請項目についても、後日、再度、本ブログに掲載して県環境課の果たすべき指導・監督を行政に喚起しつよく迫っていく予定である。

        《 太平洋セメント株式会社の確約内容 》

※ 基本的・総括的な約束内容

会社:順応的管理を行い、色々な方策を今後も考えていきます。

会社:はい、フィードバックするような計画になっています。 植物の種類によっては、25 年後に消失する種もあります。 そのような種については、25年間試す期間があります。
25 年間に何度も移植を試し、成功するように努力していきます。

会社:今後は失敗事例の経験を活かしまして、土のことを考えて植栽をします。 

会社:基本的には石灰石の採掘が終了したところについては、緑化することにしている。

会社:現時点では、(開発をいつか完結するか否か)どちらの可能性もあるが、最終的には、緑化を行い完結する方針である。

※ 評価書提出後に着手する約束内容

会社:評価書を提出の後、調査を行います。 事後調査を行えば、1 年ごとに報告書を提出します。 結果の閲覧、公表も行われます。 ← いつ調査を?

会社:今後、事後調査においてキノコ、地衣生態類についても調査をしていきます。← いつ?

会社:食害がある現況で、より正確に把握できる手法を、専門家の意見を踏まえ反映し検討したい。 ← まず、シカの実態調査?

※ 移植に関する約束内容

会社:今回の事業でも、移植地まで道路をつけて車で移動し、移植が上手くいっているのかを確認するための事後のモニタリングを行っていきます。

会社:事業の進捗に応じて、移植を行っていきます。 50 年をかけて、改変が行われますので対策をとっていくこととなります。 それをしながらモニタリングをしていきます。 移植に関しては、有識者の意見に基づき行います。 万が一上手くいかなかった場合でも、上手くいく方法を模索していきます。

会社:ヒメニラについては、5~10 年後に改変され、それまでに色々な実験を行い取り木であったり、挿し木であったり、組織培養等の実験をして、より良い方策を試します。 安易な移植は考えていません。(筆者:ヒメニラの取り木、挿し木云々はテープ起こし間違い? ← 今春のヒメニラ調査に非協力だったのでは? )

※ その他、個別的・具体的な約束内容

会社:表土の部分の場所が、一番養分が多いと思う。 採掘部分がレベルダウンするごとに表土の部分が必ず地山との境界に出てくる。 使えるものは使っていく考えである。

会社:荒涼とした景観の観点からも考え、今日見て頂いた断壁は20m ごとに小段を作っており、1段当たりの高さが高い。次の場所は20mを10mにして小段を作るなど工夫してやっていきたい。

会社:他地区の事業では、保護植物園のようなものを作ったり、バイオテクノロジーにより培養したりしているので検討したい。 ← 検討結果は?

会社:事業者の研究施設で、組織培養を行いますので、種の保存だけは図られます。 生育地はなくなりますが、この種の遺伝子自体がなくなるわけではありません。← xxマイマイは?

会社:準備書 P.599 で重要種については、移植だけではなくて、例えばアサダ、xxxミツバについては挿し木、取り木、組織培養、ハイイヌガヤ、チャボガヤ等については挿し木、取り木、播種といった方法を考えています。

                                   2013.03.30 記            


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筑豊のセメント山〈香春(かわら)岳〉と五木寛之「青春の門」
                                                                  (会員 藤原昧々)

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 2012年2月の末に、北九州は田川市石炭・歴史博物館主催の「山本作兵衛コレクション展」を見に行ってきた。 明治・大正・昭和にわたる筑豊炭鉱の歴史を身をもって体験された山本氏が60の歳から絵筆をとって描きつづけた坑夫たちの労働と生活の姿が丹念・克明に記された絵画記録で、学生のころ作家上野英信氏の本で知って私は当時から関心をよせていた。 今回その人の絵や日記類を実際に眼にする念願がやっとかなったのだった。
 小倉から日田彦山線の電車に乗り、途中長いトンネルを抜けると左手に、右端の山がテーブル状に削られた三つ子山の風変わりな姿が目にとまった。 田川市の博物館からその連山は町並みの上にくっきりと望め、そのとき、この山が香春岳(かわらだけ)という名のセメント山であることを知った。 帰って調べてみると、この山もやはり由緒ある信仰と伝承の山であり、自然も豊かで、存在する植物種数は今も1200種に及ぶといい、コケも全国でここだけにしか存在しない種があるという。 坑内掘りの石炭とちがって石灰岩は露天掘りであり、採算にみあう限り、抉り削りとられて消滅させられる。 日本の石灰山がいずれも学術上貴重な自然を蔵しながら消滅してゆく。 無念でならない。 文明の原罪というか経済文化の恩恵に生きる人間の心のトゲでもある。
 博物館から撮影した写真では、手前の削られた山が「一の岳」であり、奥に向かって「二の岳」「三の岳」となり、登山対象は「三の岳」のみとなる。
 「一の岳」の変貌について、「関門通信/ガゾーン」の記事には、以下のように記されていた。
「1935年(昭和10年)に日本セメントが採掘を開始し、同山の標高は492mから270mに低下した。平尾台の石灰石鉱山では山の斜面が虫食い状態だが、香春鉱山は周囲が住宅地のため落石を防ぐ必要があったのか、山頂を切り取った後に内側をベンチカット方式で切り込んでいる。まっ平らな山頂を地域住民は複雑な心境で見上げる。」と。
なお、香春岳当初の操業は旧浅野セメント(現太平洋セメント)とする記述もある。
藤原岳山頂鉱区の場合、対象が標高600mまでとされるが、山頂1000m余からどのようなえぐられ方をするのかが気になる。

その香春岳が五木寛之氏の大作「青春の門」の冒頭にあたる「筑豊扁」の第一章に描かれていると知り、さっそく図書館で開けてみた。 なお、種田山頭火も採掘前後の香春岳を旅中で目にしていたという。
縦書きの日本の文学作品を横書きで紹介するのには抵抗があるが、事情によりご寛恕いただきたい。 下線は私が記した。

 「香春岳は異様な山である。
 決して高い山ではないが、そのあたえる印象が異様なのだ。
 福岡市から国道二百一号線を車で走り、八木山峠をこえて飯塚市を抜け、さらにカラス峠とよばれる峠道をくだりにかかると、不意に奇怪な山容が左手にぬっと現れる。標高にくらべて、実際よりはるかに巨大な感じをあたえるのは、平野部からいきなり急角度でそびえているからだろう。南寄りの最も高い峰から一の岳、二の岳、三の岳と続く。
一の岳は、その中腹から上が、醜く切りとられて、牡蠣色の地肌が残酷な感じで露出している。 山麓のセメント工場が、原石をとるために数十年にわたって休まずに削り続けた結果である。
 雲の低くたれこめた暗い日など、それは膿んで崩れた大地のおできのような印象を見る者にあたえる。それでいて、なぜかこちら側の気持ちに強く突き刺さってくる奇怪な魅力がその山容にはあるようだ。 目をそむけたくなるような無気味なものと、いやでも振り返ってみずにはいられないような何かがからみあって、香春岳のその異様な印象を合成しているのかもしれない。 かつて戦国時代に、この一の岳に築かれた不落の名城があったという。その城を〈鬼ヶ城〉と呼んだそうだが、いかにも香春岳にふさわしい異様な山城のすがたが霧の奥から浮かび上がってくるような気がしないでもない。
               (中略)
 曇天の下、頭部を醜く削りとられた香春連峰一の岳が屹立するすがたは、なぜか現在の筑豊のおかれている奇怪な現実を無言のうちに象徴しているようだ。 明治の会社炭鉱(ヤマ)開発以来、いくつかの戦争をはさんで劇的な盛衰をくり返してきたこの川筋の平野に、香春岳はいまセメント会社の手で少しずつその山容を、低く、平らに変えつづけて行こうとしている。
 やがていつかは、香春連峰、一の岳の名が、かつて筑豊に存在した今はなき幻の山として伝説のように語られる日がやってくるのかもしれない。
               (中略)
 伊吹信介は、子供の頃から香春岳を眺めるのが好きだった。
 彼が物心ついた頃は、すでに香春岳のセメント採掘は始まっている。 正確に言うと、信介の生まれたのと同じ年、つまり昭和十年にセメント会社は山を削りはじめたのだ。
 彼が生まれてはじめて香春岳を意識したのは、父親の背中におぶさって、栄町の通りを帰ってくる朝のことだった。
 どこから帰ってくるところだったのか、何のためだったか、その時の幼い信介にはまったくわかってはいない。ただ、父親の背中でうしろを振り返ったとき、正面に異様なまでに大きな山が見えたのだ。その山肌に傷ついたような白い裂け目があり、朝日の色に赤く染まって輝いていたのを彼ははっきりと憶えている。
                (中略)
 その時、白い花輪の並ぶ小さな家々のかなたにあの香春岳があった。そしてその頂上のあたりは削りとられて白く無残に陽にはえていた。その部分は、まるで山の骨が肉を破って露出しているように見えた。」                       (引用、以上)

 因みに、藤原岳が太平洋セメントの前身会社によって採掘されはじめた年は昭和8年であり、香春岳採掘よりわずか2年前である。

 さて、過去2億トンもの石灰を採掘してきた秩父の名山、武甲山は2000年3月末についに第一プラントの操業が休止され、セメント産業の斜陽化は誰の目にも明らかになった。 さらなる不況のため太平洋セメントは土佐・大分・秩父の3工場でも2010年中にセメント生産を大巾に中止し、同社生産全体量の13%にあたる310万トンを削減したという。  この香春岳の場合も生産縮小化の流れにそって生産工場の閉鎖と石灰採掘主体の他会社への移行が最近行われたという。

 このように見てくると、50年にわたる藤原岳鉱区拡張の計画も今後永久に会社が責任をもって緑化や自然保護に取り組んでいくだろうという甘い期待への保障はどこにもない。 閉鎖と失業の陰で失う自然の価値はあまりにも大きすぎる。 どこかで根本的な視点の転換と、惰性からの覚醒が必要になろう。
                                                          2012.8.4 記

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意見書は「ベニスの商人」裁きか? 
                         (会員・藤原昧々)  2012.01.31 記

県は、年末の多忙時に審議委員会を行い、年明け早々には答申が出され、1月26日には知事意見の表明がなされた。 意見書全文は、本会のブログに掲載されています。

公表の知事意見書をどう読むかは、いろいろ見方が分かれるところではないでしょうか。
私の受けとり方を結論から言うと、これは事実上のゴーサインでありながら、様々な制約をからめることで、当面、 急激で大幅な自然破壊は遅れることになり、見方によれば、一種の時間稼ぎになっていると思いましたがいかがですか。 楽観的でしょうか。

たとえれば、「注文の多い」知事意見であり、「ベニスの商人」裁きであったと。
要するに、主文はゴーサインとなり開発阻止派敗訴なのに、中味はやたらと時代の要請をくみとった注文づくめの料理のために事業者側が結果はまる裸になるみたいな判決。
べつの譬えでは、事業者側が当然の権利として求める心臓(開発)の要求を主文で認めつつも、「一滴の血(希少生物)も流してはならない」という無理難題を押しつけた判決のようなものか。 もちろん私に事業者側をシャイロック呼ばわりする気は毛頭ありませんが。

生息する超希少陸貝の扱いが今後、事業者側には荷が重くなる。 障害だらけの隘路に重機を進めねばならない困難が立ちふさがっている。
意見書には、県担当者の方々の細かい配慮や、答申にむけた審議会の動植物関係の先生方の精一杯のご努力を感じずにはいられない。 会長・副会長の苦心の収拾ぶりも覗える。
これで今、序盤が終わりいよいよこれからが長い正念場だ。
今後、藤原岳の自然保全は、県、有識者、地元住民や自然保護関係者たちの、監視、告発、助言、勧告、指導などの行動実行の如何にすべてがかかっている。
また、各方面からの要望の強さやキャンペーンのありかた次第でしょう。

私個人として、意外なのは、山頂鉱区掘削による土石流災害への懸念が一言も出ていないことだ。  一例だが、長良川河口堰で桑名市民?が最も怖れているのは津波よりも堰満水時での地震決壊による大洪水である。 日本の巨大構築物はほとんどが地震静穏時に 設計・建設されていると言われる。 
藤原岳も巨大な遊水池を作るというが既存の土地の自然破壊もさることながら満水時の決壊は危険である。 意見書に一言の言及もなかったのは不思議だ。 ひょっとすると、標高600mあたりまでがごっそり削り取られてなくなるからかもしれない。 
鈴鹿山地を歩いていて驚くのは、各地での谷の崩壊です。 隣の御池岳でも各処で崩れている。  知事は、人為で木を切り谷を破壊することの怖さを考えないのだろうか。

もっともっと声を出すこと。 みんな「思い」があり、オズオズ・シブシブであれ、思いを表に出す。 それは存外に気持ちがいいもの。

県に対して声をだそう。 意見を出そう。 山(県)は動いてくれる。

ここで、再度、知事意見の注文、 の十戒を記載して筆を擱く。

 
       《知事意見  事業者 “十戒”》

☆ 藤原岳は、石灰岩地特有の動植物が存在する、いなべ市が誇るべき自然であることから、事業の実施にあたっては、十分な環境配慮を行うこと。

☆ 事業期間50年の間に、三重県レッドデータブック等の重要な種の選定が更新された場合には、環境保全措置を行うこと。

☆ 準備書に記載されていない動植物の重要種について確認し、環境保全措置を行うこと。

☆ 地形改変により既存の植生等に大きな影響が見られる場合には、環境保全措置を行うこと

☆ 植物の移植にあたっては、事前に十分な試行を行ったうえで適地に移植し、移植後も生育状況の確認を事後調査で行うこと。 その際、移植候補エリアの環境の調査を移植前に行い、移植を行う植物の生育条件に適した場所に移植を行うこと。 また、移植先の既存の植生に対する二次的な影響についても考慮すること。 
重要種の移植を行う株数についても、評価書に記載すること。

☆ 供用開始時までに、マレーズトラップ法及びフィット法による昆虫類の調査、予測及び評価を行い、環境保全措置を行うこと。

☆ XXXXマイマイについては、移殖を前提とせず、可能な限り、事業の影響を回避・低減する方法を検討すること。

☆ イヌワシの採餌環境創出のための林冠ギャップは、試験的に施工し、その効果を確認してから行うこと。 なお、施工前にギャップの施工箇所の動植物に対する調査、予測及び評価を行い、環境保全措置を行うこと。

☆ カモシカ、および埋蔵文化財包蔵地である治田銀銅山の保護・保全に努めること。

☆ 水質に関しては、必要な調査を、現況及び採掘が行われる供用中の一定期間ごとに行い、環境保全措置を行うこと。

☆ 土壌については、カドミウムの直接摂取のリスクを踏まえ、土壌含有量調査を行うことも検討すること。

☆ 三重県景観計画に基づく景観形成基準に配慮した事業計画とすること。
                (2011年1月26日「知事意見」より抜粋)

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マヤカシと空手形
                                                  (会員・藤原昧々)

本BLOGに掲載されている4つの評価委員会議事録内容を再読してみた。 
じつは平成21年度分としては全部で5回の会合が持たれたが、残念ながら県のサイトから第1,3,4回目の議事内容が消えているのでBLOGへの転載はできなかったようだ。 

門外漢の読後印象で恥ずかしいが、審議委員の先生方はそれぞれ綿密、熱心に発議されており正直頭が下がった。
しかし、読後の胸に残ったものは〈虚しい寂寥感〉だけであった。 
塵埃、騒音、工法など工学的な問題はある程度解決されているのかもしれないが、景観、災害、地下水、生態系の問題ははたしてどうであったか?
結局は問題解決への糸口も実質もなく、ただマヤカシと言葉の空手形だけである。
「貴重種の保全は移植で、イヌワシは林間ギャップの創出によるエサ場作りで解決する」と事業者は言う。 児戯に等しいマヤカシの解決手法としか判断できない。 会社の本心も成功の見込みなど毛頭ないだろう。 アセスの形式を作るだけの方便である。 どうせ行政が「最善の工夫を凝らしてください」あたりでお茶を濁してくれるだろうと見くびっている。 見え透いた魂胆だ。

そして言葉のみが横行する。 すべて裏づけのない空手形の乱発である。 言葉のみ。
曰く、・・・・・ [開発後に試行錯誤で研究し成果を得て実践する。 すでに会社内に成功例の実績を保有している。 挿し木、取り木、組織培養、播種といった方法を考えています。 順応的管理を行い、色々な方策を今後も考えていきます。 安易な移植は考えていません。 移植に関しては有識者の意見に基づき行います。 万が一上手くいかなかった場合でも、上手くいく方法を模索していきます。 より正確に把握できる手法を、専門家の意見を踏まえ反映し検討したい。 最終的には、緑化を行い完結する方針である。](すべて委員会回答)

「検討」と、「やります」、「やります」 の回答。   
実質がなく、アテのない見込みの言葉だけの約束。 誰も成功も実行完遂もあてにしていないし嘘だと知っている。 
秩父の武甲山を見てきた会員が衝撃をうけて語っていた。 何もしていないと。
そして、アセスという開発への通過儀礼の上に築かれた論議と会合の山。
会社がきちんとやりますと回答する以上、県も先生方の誰もが手の打ちようがないのだろう。 先生方が紳士的でお人好しなのか? もともと性善説にたつようにアセスの仕組みができているのだろうか? 
いったい、利潤追求、株主配当を使命とする企業が本業でない緑化・復元に言葉どおりに注力するのだろうか。 太平洋セメントは前身を含め、すでに80年間この山を掘り続けてきたが、藤原岳のどこで緑の復元がなされているのか? 多志田の谷を荒れるにまかせ、東の三角斜面は御覧のとおりの禿げ山のままだ。  信用を重んじる企業ならば、現在の裸地をすでに緑化した実績の上にたって代替措置の提案をするはずだ。
日本の一部上場企業の平均存続年数がどれほどかご存知だろうか? 特に今は激動の日本。  仮に会社が存続しても50年も経てば、企業の内容も陣容も理念もまったく変わっている。 企業の収益に反するだけの緑化事業を50年先にどこまで真剣にやってくれるのか。 掘れるだけ掘ってあとは資金不足の理由などで放置しはしまいか。 残念ながらこれまでの採掘会社、産廃会社(太平洋セメントの実態もそう)はどこでもそうだった。 石原産業然り。 近くの白石鉱山の跡はどうか。 工場施設は何十年も放置されたまま錆びた有刺鉄線とツタが這いまわり、荒れるがままにされ、昨年もPCB流出による土壌汚染で大問題になった。 資源搾取産業の社会的信用はまだ高くはない。
企業の社会的信用は長年にわたる個々の誠意ある現場実践の総体として現れる。 緑化の実績が何もないまま「やります」の空手形を乱発する相手は大会社といえども要警戒なのだ。 学者の先生方は紳士的だからか事業者の言質を取るまではしない。 殴られながら握手をする聖人のようだ。 
第三者委員会がせっかく勧告や答申を出しても、企業が「あの方はもう関係のない過去の人ですから」と、無視、不問に処す実例が最近もあった(九州電力)。 どうして緑化の現状を追求し、緑化事業資金の予算を問い、その預託などを考えないのだろう?  アセスの趣旨を逸脱するからか?
審議記録を読むと、言葉の空手形が交錯する議事進行に驚く。 ・・・ 虚しい。 

こんな文の一節が記憶に残っている。
最後の川が汚染され、最後の魚が獲られたとき、初めて、我々は《お金を食べて生きていけない》ことに気づくのです。」 
                                                       (藤原昧々)


〈付録〉  評価委員会における事業者側回答の抜粋

☆ 今後は失敗事例の経験を活かしまして、土のことを考えて植栽をします。 
☆ 順応的管理を行い、色々な方策を今後も考えていきます。
☆ 今回の事業でも、移植地まで道路をつけて車で移動し、移植が上手くいっているのかを確認するための事後のモニタリングを行っていきます。
☆ はい、フィードバックするような計画になっています。 植物の種類によっては、25 年後に消失する種もあります。 そのような種については、25年間試す期間があります。 25 年間に何度 も移植を試し、成功するように努力していきます。
☆ 事業者の研究施設で、組織培養を行いますので、種の保存だけは図られます。 生育地はなくなりますが、この種の遺伝子自体がなくなるわけではありません。
☆ 準備書p599 で重要種については、移植だけではなくて、例えばアサダ、xxxミツバについては挿し木、取り木、組織培養、ハイイヌガヤ、チャボガヤ等については挿し木、取り木、播種といっ た方法を考えています。
☆ 林冠ギャップを作る場所の植生で、低地に草がないのは鹿の食害が原因ではないと思います。 その地域全体が木で覆われていまして、日が当たらない状況が理由だと思います。
☆ 事後調査については、評価書を提出しなければ出来ませんので、評価書を提出の後、調査を行います。 事後調査を行えば、1 年ごとに報告書を提出します。 結果の閲覧、公表も行われます。
☆ 野ウサギ以外の餌となる動物について、伐採をすれば、林縁や下層植生の発達が期待され、野ウサギ以外の動植物にとっても多様な生息・生育環境になることが考えられます。
☆ 検討します。
☆ アンケート調査については、検討します。
☆ ヒメニラについては、5~10 年後に改変され、それまでに色々な実験を行い取り木であった り、挿し木であったり、組織培養等の実験をして、より良い方策を試します。 安易な移植は考え ていません。
☆ 今後、事後調査においてキノコ、地衣生態類についても調査をしていきます。
☆ 種まで特定できない場合、重要種として取り扱えないので、記載していません。
☆ 事業の進捗に応じて、移植を行っていきます。 50 年をかけて、改変が行われますので対策をとっていくこととなります。 それをしながらモニタリングをしていきます。 移植に関しては、 有識者の意見に基づき行います。 万が一上手くいかなかった場合でも、上手くいく方法を模索し ていきます。
☆ 次の開発事業区域は、土石流発生区域に近いので、行政と連携して配慮していきたい。
☆ 後世に残せれるように、移植が有効であれば検討したいと思っているし、他地区の事業では、保護植物園のようなものを作ったり、バイオテクノロジーにより培養したりしているので検討したい。
☆ 緑化については、将来の計画については未決定なので、現時点では緑化したところが改変されることもある。 可能な箇所は実施していきたい。 埼玉県の採掘跡地では、緑化している。 基本 的には石灰石の採掘が終了したところについては、緑化することにしている。
☆ 現在採掘している箇所で、鍾乳洞が発見され事業が中止された事例は把握していないが周辺部については大規模なものが確認された事例はあったかと思う。
☆ 土石流が起こっているという認識はしていないので、確認したいと思っています。
☆ 食害がある現況で、より正確に把握できる手法を、専門家の意見を踏まえ反映し検討したい。
☆ 現時点では、(開発をいつか完結するか否か)どちらの可能性もあるが、最終的には、緑化を行い完結する方針である。
☆ 表土の部分の場所が、一番養分が多いと思う。 採掘部分がレベルダウンするごとに表土の部分が必ず地山との境界に出てくる。 使えるものは使っていく考えである。
☆ クロマツは過去に試行錯誤的に植えたとものである。
☆ 荒涼とした景観の観点からも考え、今日見て頂いた断壁は20m ごとに小段を作っており、1段当たりの高さが高い。次の場所は20mを10mにして小段を作るなど工夫してやっていきたい。

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第三回評価委員会 傍聴記                          (会員 M)       2011.12.20 記 
                               
2011年12月15日(木) 13:30~15 :00   
会場:津市水産会館3階

結論ありきの「アワセ(合わせ)メント」となるのか?
このままでは開発への免罪符となる手打ち会合で終わりかねない。
                           

日本のアセス法制定の歴史は経済先進諸国中で最後進国にあたる(OECD加盟29ヶ国中29番目)といわれるが、その日本でも三重県はさらに最後進県となるのだろうか?    
今回の評価委員会は、締めくくりの会合にしてはあまりにも低調であり、なにより異様ずくめの内容であった。

〈会の経過のあらまし〉 
委員20名中、出席者は14名。 委員の主な発言は実質4名のみ。 発言がアセスの趣旨から逸脱していると審議の進行を正そうとされた副会長と会長の発言をのぞいて、多くの委員は他部門への遠慮なのか沈黙を守り、一部の人の発言に終始する寂しく低調な会合であった。 専門外でも「常識」で感じる素朴な疑問は有識者の沽券に関わるのか、誰からも出なかった。 オリンパスや大王製紙の暴走を傍観した内部幹部たちと似ている。 専門外でもおかしいのはおかしいと誰も発言しない「まるで不思議の国のアリスだ」(ウッドフォード元社長)。
感想と私見を記す前に、聴きとれた主要な発言の内容を以下に略記する。
まず、去る11月19日に県の桑名支庁舎で開催された住民聴取会での6名の住民意見の概要が県担当者から報告された。 残念だが、これは「聴きおく」だけで終わるのがアセスの通例のようだ。
次いで、前回質問があった鈴鹿国定公園の区域決定の経緯に対して県職員から説明があり、あの藤原岳周辺の奇妙なギザギザ線は、昭和の30年代に自然公園法により、民間会社の所有権、財産権、鉱山権などへの配慮と尊重にもとづき設定されたものであるとの回答があった。
現今、各地の自治体や自然保護団体などから強い改正の要望がある、あの旧態依然の鉱山法の横暴と現自然公園法の無力をあらためて痛感させられる。
次に事業者側からの補足の意見説明があり、前回に問題になった植物の最貴重種については全部を移植の方法で対処すること、xxxxマイマイは実験後に移植場所の選定をして移植し事後はモニターをおこなって適切に管理していく、といった発言があった。 「繁殖不可能」(陸貝担当委員)への事業者側からの挑戦だ。
評価委員の発言に移り、最初の委員からは、濃尾平野など他県の住民にとってハゲ山の藤原岳の景観は自然破壊そのままの不快な景観としか眼に映らない。 緑の復元および、人工景観と自然景観のバランスの必要性などが述べられた。
次の水質関係の委員は、アセスにおける地下水脈の調査の不備と土石流災害の危険への懸念が述べられ、さらに、委員の発言の審査結果への反映のあり方、委員の責任、本委員会の存在意義などのそもそもにまで言及がなされたが、これは会の紛糾を招きかねない発言といえるかもしれない。 
同委員の発言の主意を私なりに言いかえれば、個々の専門委員がいくら災害や自然破壊、生物・植物絶滅の危険に言及してもその意見の反映の保証もなく、委員会には責任もなく実行を監督する権限もないのでは、何のために会に出席し、何のためのアセスであり環境影響評価委員会なのか、という自問と会の在り方に向けた根本的疑問であろう。
次の発言者は森林関係の委員で、移植の為の事前の調査内容や基礎データが準備書に盛りこまれていないかぎり委員会は評価の判断ができないのではないか、と述べた。 至極もっともである。
上記の発言者の後に、再度、先ほどの水質関係の委員が口を開き、多志田渓谷の実態の調査がない、住民からのヒアリングがないのは根本的な不備、水流には表流水と岩盤の地下水があり後者の実態が不明では災害予測が不可能、尾根を削れば地形が変化し雨水の流れも変化して土石流の発生に影響を及ぼす、などの発言が続いた。 災害発生の危険に関連する重大な発言で、先ほどの専門家としての責任云々の一見唐突な発言も、鈴鹿の山で近年多発する自然災害の崩壊現場を多数歩いて見ている私には十分に理解できるのだ。 イヌワシ営巣が仮になくなり治田鉱区の開発が進めば多志田川の氾濫は不可避であり、山頂鉱区は麓から谷を見上げれば素人でも土石流の災害が眼に見えている。 しかし委員会は危険をよそ事にひたすら日程消化のレールを走っている。
議事進行役の副会長が、彼の長い発言に対して会の役割と趣旨から逸脱していないかとのセーブあるいは牽制の注意を促し、会長の同意をただす場面もあった。 委員会の中にはアセスの未経験者もおられ、アセスの流れ、趣旨、目的などに沿わない、発言の逸脱と混乱が傍聴中みられたのは事実で、前回の会合でも委員の個人的心情の吐露などが多くあり首をかしげると同時に県の委員人選への疑問を感じた。    ところで、委員の人選への別の疑問をこの際、附記する。 昨年の委員入替えで環境保全に厳しいベテランの委員が多く去ったし、藤原岳の自然環境影響評価をする会合というのに、三重県のレッドデータ・ブック作成に努力をされた中心関係者があまり選任されていない。 初めに結果ありき、の「アワセメント」 ...    

次に、植物関係の委員は、前回の発言の趣旨を再度強調されて、生物への影響について最大限の論議の必要があること、移植の適切性を事業開始前に確認するべきこと、移植に失敗すれば後には何も残らないことになる、などの発言をされた。 事業者の回答も前回発言と同様で、実際に表土を削るのは10年後であり、その間に開発工事と平行して十分に移植を実験し適切に実施していく、というものであった。
もし万一、移植が不成功だったならばどうするのか、の同委員の質問に対して、今回(明白には)初めて、事業者側(コンサル会社)の一員の口から、現に移植の成功例はいくつかグループ企業内に保持しており、成功には絶対(科学の見地上100%とは言えないがほぼ近く)の自信がある、との断定的表明がなされた。 その大見得ぶりの鮮烈さは傍聴者の私には衝撃的であった。 そこまで言うか! 
追い打ちをかけるように、事業者側から、移植については方法書段階で述べており論議済みの件(?)を現在の評価段階で蒸し返すのはおかしい、といった手続き上の反論が表明された。 進行役の会長から同調に近い感想が述べられたのかどうか、聴きとりずらく不明であった。 
次に、生物関係の委員がxxxxマイマイを再度とりあげ、移植は不可能、生息区域内の実態をまず知る必要がある、何を指して事業者の言う「定着」を定義するのか?  条例からみて実験は可能か、県は実験を認可できるのか、条例の見直しは、などの疑問がだされた。
本会の最後の発言者は、県の職員側(環境課ではない)の一人だった。 公開の場で県担当の方が、本来はあるべきことなのだが、評価委員会のなかで事業者に事務的でない質問をすることはほんとうに珍しい。 環境課の職員なら担当部門だけにさまざまな疑問と責任をもつはずだが、事業者には直接内々に質しているのであろうか。 不思議だ。 質疑のやりとりが県民に公開される場で積極的になされなければ、県は県民から信頼されないであろう。 
彼の質問の要旨は、稀少種の移植を論議するためには、その生態系をもふくめないと不備なのではないか、事後調査は誰(どの部門)が行いどのようになされるのか(責任主体と継続性)、であった。 
事業者側からは、生態系の件には意味不明の回答、事後調査の件はアセスを担当したコンサルタント会社が引き続き責任をもって継続する、との回答であった。
以上をもって、他委員からは特別の質問や発言も出ず、予定時間を1時間以上も余して散会した。

以下、問題点への私見、感想を列記したい。(Moreをクリック)


More 続く
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第二回評価委員会 傍聴記
                                          (会員 M)     2011.10.14 記
平成23年度 第二回三重県環境影響評価委員会
10月13日(木) 13:30~16:30   会場:津市JA会館3階
傍聴者8名、うち数名は野鳥関係者、1名はアセス関係会社社員。

今回の審議内容を象徴する生物は三つ、xxxミツバ(植物)、イヌワシ(猛禽類)、xxxxマイマイ(陸貝)であっただろう。 論点は二つ、移植と林間ギャップ。 その論議の背後にある立場の相違は、採掘前の調査・検討を主張する委員側と、採掘を前提とする事後対策の方策を検討したい事業者側とのいわば前か後かの対立であった。
即ち、業者側の本音は、まず開発行為ありき、で、付随する補償措置は同時的ないしは後で講じていくことになり、発生してくる諸問題の解決をどうするかが課題になる。  
その結果が移植行為の試みであり林間ギャップの創出である。 委員から問い詰められれば「そんな方法ではダメだと言うならば、委員さんの方から専門的な良い方法をアドバイスしてくださいよ」という居直りにちかい答弁が本音になる。
審議では、林間ギャップはその効果への疑問とともに、少なからぬ規模の環境の改変になるので、周辺への影響の大きさゆえに本アセスの趣旨からも否定される方向の論議となった。
次の移植の方策は、実験と検証は小規模でやれる可能性があるので検討の余地はあるが、採掘との同時進行は許されず、やるならば開発に先行して最低でも数年、あるいは10年はかけて実験しその結果を見てから採掘を判断するべきだとの意見が続出した。

今回の会の雰囲気を決定し支配したのは、審議の冒頭に、県自然環境室副室長の唐突ともいえる次の指摘であった。 すなわち、発見されたxxxxマイマイは、三重県保護観察指針に掲載されている種に該当し、生体の採取は厳に禁止されている。 ただし例外として、研究や繁殖・保護の目的でなら特別に許可される、と。  つまり、逆に言えば、その生物が繁殖上、生息可能な別の場所と方法が見つからなければ業者側は移植の目的ででも採取ができないことになる。 
この水戸黄門の印籠的指摘は、業者側にとっては、今後へのそうとう厳しい課題と桎梏となってのし掛かり、当日の苦しい答弁を予想させる暗雲となった。 
鉱山会社への開発阻止運動は茨の道だろうと覚悟していたが、今日の意想外の展開を傍聴するかぎり、業者側の開発企図も茨の道ではないか、と思えてきた。  第一回の委員会をともに傍聴したY氏が、「今後はイヌワシ大権現からxxxx大明神が最大の論点になるぞ」と意気込んでいたことが、まさに事実となって現れたのだ。

林間ギャップの件  
鉱区予定地とは別の箇所に樹木を伐採して、イヌワシのエサとなるノウサギの繁殖場となる高原状の場所を創出するという業者側発想の補償措置である。 
委員からの指摘をざっと列挙すると以下のとおり。 
新たな環境破壊をまねく。 場当たり的な対応。 まず開発ありきの発想。 ウサギ以外のヘビ類のエサ調査が不足。 この方法が補償措置として最良だとは決まっていない。 など

移植の件
委員の主な指摘は以下のとおり。 
稀少生物は一度絶えると二度と同じには回復しない。 採鉱期間が50年なのだから、まず数年間の移植実験期間を経てからでも良いのでは。
後者に対する業者側の回答は、最初は地下の予備工事からとりかかり、地表での実質採掘開始は5年後からなので、バイオの研究は同時進行が可能である、というものであった。 
それに対して委員からは、方法が組織培養、種子保存のいずれにしろ生育地そのものが消滅するのだから無意味だとする見解が出された。

審議の経過を、以下、筆記したノートからざっと報告するが、各処の重複はご寛恕を請う。
前回は、風塵、騒音、地形、土木など会社側の本業であり、お手の物の分野から審議が始まったが、今回は順番が逆になり、植物 昆虫 野鳥 陸貝 と深刻な被害が予想される生物分野から委員の発言がなされることとなり、最初から踏みこんだ指摘が委員たちから出され以後の審議のボルテージ上昇に少なからぬ影響を与えた。

最初の植物担当の委員からは、シカ食害への対応の必要性と、林間ギャップ手法への率直な疑問が出され、つぎの委員からは、同じく、移植や培養への根底的な疑問、開発以前に数年かけて実験する必要性などが提案され、一方、坑内採掘の可能性への質問があった。 後者の坑内採掘は当然ながら業者側からコストの点でニベもなく否定されたが、その質問によって、自然環境よりも利潤追求を重視する会社の宿命的体質をはからずも引き出して全委員を鼻白ませ、以後の委員の発言に自然環境評価という委員会本来の趣旨への回帰と意欲を促す効果があった。 次に、ご専門ゆえか前回も業者側に移植の方法のアドバイスをした異色(移植)の委員が、今回は、組織培養よりも種子保存が良いと、木を見て森を見ない的発言をされた。 

つづく昆虫関係の委員二名からは、稀少種よりも種の多様性や微小種・未記載種の重視への視点の転換、移植試験の開発前実施の必要性が縷々説かれ、やはり林間ギャップ手法への否定の発言があった。 微小種・未記載種の重視にはまったく同感である。 私も提出した住民意見書の中で、既知種、同定確定種のみのアセスの記載手法では、現場の生物相の実態を正確に反映しておらず、キノコ類の調査は不充分ではないか、と述べた。 キノコのように分類が特に進んでいない分野では、藤原岳のように未知の種が多い地ほど、より魅力のある環境だとも言えるからだ。
猛禽類専攻の委員からは、イヌワシに関連して、ついに「それを言ってはお終いよ」の、開発中止を求める要望が出された。 技術の未確立な林間ギャップ手法の否定、人工的なエサ提供の矛盾、おまけとして、全国的な問題解決に対する業者側の技術研究への時間と投資への要望があった。 この「中止」の言葉は、次の委員の油に火を放つかたちになった。

次の委員は、標本を持ちこんでの、xxxxマイマイでの追求。 大明神の神輿を担ぐ僧兵の勢いだ。  
県の条例指定の生物への影響の重大さ、法律違反を問われかねない行為だなどと、激越な指摘の連続。
曰く、移植成功例は皆無、同一種内でも個体の多様性あり、同時進行での試験など論外、陸貝類は一般に10年単位の事前調査が必要との指摘。 返す刀の切っ先は県の担当者に及び、保護施策徹底への要望や叱咤の発言はまさに環境評価委員の聖職に恥じぬ鑑であった。  

供覧に付されたxxxxマイマイの標本は、幸い傍聴者にも回覧された。 私は図鑑やネットでは目にしていたが、実物の標本は初めてで、背中の盛り上がりが全く異なる個体数個が納められた実物をじっくりと拝見できた。 その透明でうすい鼈甲色をした、いぶし銀ならぬ燻し金の、物言いたげな色彩美に、私はため息をついた。 それはまさに、藤原岳がまとう緑と花々の衣装の裏側に鏤められてひっそり息づく命ある宝石である。 セメント幾万トンの価値をも凌駕すると断言したいほどの小柄で寡黙な貴婦人の姿であった。
次の委員の語り口は、前委員の動から静へと一転して、「森が枯れれば海が死ぬ」の含蓄ある箴言から始まり、将来予測の不可能性や現世の無常などを諄々と説かれて、業者側の開発行為の傲慢さをいましめるかの説法で終わり、会場内は粛然として声なし、の様であった。

この後は、委員の専攻分野が、大気、気象、地下水、地形学、騒音評価などに移り、私の筆記記録も途端にわびしくなってきた。 内容も前回の委員会と重複するようでもあり、興味も遠のいたが、二三、注目した発言を以下に記したい。
尾根が削られ消えると、大気の流れ、日射の具合、雨の降り方が大きく変化する。 予測変化は簡単な計算で可能なので是非やって欲しい。
鈴鹿国定公園の境界、線引きの問題。  滋賀県側は、きれいに山の全部が公園に入れてあるのに、何故に三重県側は複雑怪奇なぐねぐね線が引かれているのか。 貴重な植物の宝庫である美しい土地なのにわざわざ公園からはずしてある。 鉱山は何故はずしてあるのか? といった意地悪な質問で、溜飲が下がる。 県の回答は、公園は国が指定し、現在は県が管理している。 国の境界指定の経緯については調査する、であった。 (理由は、鉱山法は公園法に優先するからであろう。 50年先にはおそらく逆転しているだろうが。)
種が残るということは、その場で残るという意味だ。 だから移植を論議する前に、この開発事業を認めるか否かの決定がすじ。 業者側は、もし妥協するならば、ある部分は中止にし、ある部分はトンネル鉱法でやるべき。 世の中、50年前は寒冷化対策を論じていたのに現在は温暖化対策が問題になっているように、今後50年先の自然観も確実に変化する。 本委員会の趣旨と逸脱するが心情としては開発中止を論議の中心にしたいほどである。                        以上 
                                                
会の進行も閉会時間に近くなってきたが、各委員の発言は時として原則論、心境吐露に傾いてきて事業者側は回答不能になり審議の中断が多くなった。  そして予定時間となり、三名ほどの委員の発言を残して会は終了した。 うちの一名は、前回会合で、人間とコンクリートとの芸術的調和を説いて業者側の顔をほころばせた方である。

総じて第一回は踏みこみ不足、第二回は委員が心情に流れて本来の学術的追求が不足する印象が残った。  例えば、「組織培養は保全の役に立つどころかむしろ悪影響を及ぼし、組織培養由来個体の抜き取りに苦労する事例(愛知県豊明市のナガバノイシモチソウ)があると旧委員の一人は指摘されておられるが、その種の具体的な質問や提案が委員の口からもっと聞きたかった。  
希望的心情を個人的にいくら語っても、あるべき環境へ向けての専門学的評価には結びつかず、アセスメントの本来の目的から遠ざかるのではないだろうか。   
                                         
(本委員会の議事内容は、当BLOG 〈アセス県評価委員会審議内容〉に掲載されています。 三重県環境森林部自然環境室の下記HPでも閲覧や印刷・コピーができます。)
http://www.pref.mie.lg.jp/SINGI/201112018521.pdf

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