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  ― 田中澄江「花の百名山」と小泉武栄「山の自然学」より             藤原昧々

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「花の百名山」(文芸春秋社 1980年)は、山と草花を生涯にわたりこよなく愛した作家・脚本家の田中澄江氏(1908-2000)が執筆、発表した山の随筆集である。 同書は第32回読売文学賞(随筆・紀行賞)を受賞している。 以下、フリ-百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』などに依拠して紹介の文を綴ってみた。 
この書は全国に大きな反響を巻き起こし、深田久弥のあの「日本百名山」(1964年刊行。この書も読売文学賞受賞)に対して、〈花の百名山〉という新たな呼称と彼女選定による百座の認容と定着が広くなされるきっかけとなった。 その後、彼女は1995年(平成7年)に新たに選定し直した百峰(藤原岳は再選)の花と歴史のエッセイ「新・花の百名山」を出版して読者の要望に応えている。 また同年には、NHKの衛星第2テレビで、「花の百名山」が毎週10分のテレビ番組として放映され、ビデオ化、DVD化がなされて一層の広い関心とブームを喚起した。 その後、山と渓谷社からは、いくつかの山の選定が見直され、同社の「花の百名山登山ガイド」シリーズが刊行され、さらに朝日新聞社からは、『週刊 花の百名山』の朝日ビジュアルシリーズが出版されたりして、花の豊富な山々とその草花への国民的な関心はいっそう高まることとなった。

三重県北勢部に住む私が特筆したいことは、田中氏の選定以来、どの社の版でも鈴鹿山系の藤原岳は全国山岳中、百選での常連様であり、低山ながらも、同山がまさに全国屈指の花の名山として常に選ばれ長く人々に愛されてきたという事実である。
三重県の山岳の中で百選に入るのは、まず田中氏の「花の百名山」と「新・花の百名山」に大台ケ原山(1695m)と藤原岳の2山があり、NHK衛星第2放送版では藤原岳、御在所山、大台ケ原山であり、山と渓谷社シリーズの選では、藤原岳、鎌ヶ岳、大台ケ原山となっている。


田中澄江「花の百名山」の297頁「(84) 藤原岳 ― アワコバイモ(ユリ科)」の項を開いてみよう。 ここでまずブログ読者に訂正をしておきたいことは、当時「アワコバイモ」と私たちも称していた主題のユリはその後、専門家の指摘により、「ミノコバイモ」と名を改めている(ミノコバイモとアワコバイモの相違は、葯の色が白色か紫褐色かで見分けるそうだ)。

彼女の最初の藤原岳訪問は生憎の悪天候により不発に終わっている。その項の出だしはこうだ。

「藤原岳には花が多いという。 去年の春、大台ケ原の大杉谷を下った帰りにバスをまわしたが、二日目の下りから降り出した雨が、強い風まじりのざんざん降りとなったので、民宿のかたわらにある藤原岳自然科学館で、館長の清水実氏から、映画や展示物の説明をうかがった。」
とある。
余談になるが、この時、田中氏は「館内に飼われているマムシにぞっとし」、そして「伊吹山の近くで、ヤマトタケルノミコトは毒蛇にやられてそれがもとで死なれるのである。 毒蛇とは被征服民族のことだといわれているけれど、私は、本当はマムシにやられたのではないかと思っている。」と記している。
一年後の4月20日すぎに、再度、彼女は藤原岳を訪れた。 
「今回は一天雲のかげすらない日本晴れであった。」
当日の案内も「藤原岳の自然を観察し、保護することに情熱をそそぎこんでおられる清水氏(当会顧問)」で、聖宝寺からのコースを登って大貝戸道のコースを下っている。 次々と現れる野生の花々に「こんなに見るのははじめてである。すばらしいを連発したら、清水氏が暗い声で言われた。 以前はもっともっと多かったのに、心なく採るひとがいて、すっかり少なくなりました」と。
著者は路傍の、エイザンスミレ、イチリンソウ、ニリンソウ、アズマイチゲ、エンレイソウ、キクザキイチリンソウ、フクジュソウ、レンプクソウ、カタクリなどの花々を愛で、八合目付近の谷では、アワコバイモ(ミノコバイモに訂正)やヒロハノアマナを初めて見て「それだけで登ってきた甲斐があった」とその感激を綴っている。
最後までマムシにも会わず、「季節をかえてそれぞれの花の盛りに、何べんでもまた、藤原岳に来たいと思った。 頂上から北西にむかい、石灰岩地特有の風景をもった天狗岩から、御池岳の方へもいって見たいと思った。」 という文で藤原岳の稿は終わっている。 彼女は鈴鹿山系の霊仙山、御池岳(コグルミ谷より)、御在所山にも足跡を残している。

田中澄江氏のように、藤原岳の多種多様な花々の数に圧倒され驚喜される登山者や識者は多い。 岩波新書「山の自然学」の著者、小泉武栄氏もその一人だ。 同書の204頁、「23. 江戸時代からの花の名所 ― 鈴鹿山脈 藤原岳・伊吹山」の書き出しは以下のとおりだ。
「鈴鹿の花は春がいい。 五月の連休頃、藤原岳(1140メートル)を訪ねると、花の多さに圧倒される思いがする。 カタクリ・セツブンソウ・キクザキイチゲ・アズマイチゲ・イチリンソウ・ニリンソウ・ヤマエンゴサク・アワコバイモ(ミノコバイモに訂正)・ヤマブキソウ・ヒロハノアマナなど、まさに春植物のオンパレードである。 また時期を少しずらすと、イカリソウやヤマシャクヤクも咲きはじめる。」

氏は同書で、「北隣にある伊吹山とともに江戸時代から花の名所として知られてきた」藤原岳が「なぜ、これほど植物が多いのだろうか」という疑問に対する説明をいくつか列挙されている。 内容を掻い摘んで紹介すると、

地形的に本州で最も狭隘な場所に位置するために、動植物の移動にとって関所にあたるところにあり、さまざまな植物が残りやすい。
石灰岩地質の山であり、それ特有の特殊な植物が多数分布する。 
石灰岩の風化に起因するカルスト地形という特殊な土地条件があり、山の稜線部の土壌の薄さと乾燥しがちな土壌が高木の生長を妨げ、林床の植物にはありがたい好環境をつくっている。
冬期の季節風がもたらす多雪が日本海要素の植物や亜高山性の植物の流入に適し、また雪解け直後の豊富な日射が林床の植物に有利に働く。
藤原岳は、もともと暖帯に属する気候条件下にあり、ここを本来の生育地とする太平洋側要素の植物も多い。

などの要因で豊かな植物相が維持されているのである、と説明される。
「これほどの花の山だとは知らなかった」氏の一行は、「予想をはるかに越えた数多くの植物を見ながらの登山」となり、次回は日帰りでなく「麓で少なくとも一泊はしようと反省」したと記しておられる。

藤原岳は、今般、太平洋セメントの採掘鉱区の拡張(50年間)にともなうアセスメントがきっかけになり、地元や他県の専門家たちの調査が進み、増殖するシカ放置による山の荒廃と植物の激減という深刻な被害の現実が存在する一方で、意外にも近辺で、三重県のみならず全国でも貴重な植物の生育が多数発見されるようになった。 今後、年間を通じた更なる調査によっては、まだまだ新しい発見が十分に期待されるのである。

今回の一連の調査によって注目されてきた植物名を、本会会員K.Y氏による当ブログ2013年5月18日の論稿「三重県産ミシマサイコ属の一新種」などを参照させて戴きながら、以下に列挙してみた。

ステゴビル、ヤセホタルサイコ、マルバサンキライ、シコクフクジュソウ、ヒメニラ、エゾスズラン、セリモドキ、
そのほか注目される種には、フキヤミツバ、イワザクラ、オオキヌタソウ、イワツクバネウツギ、アサダ、キンキマメザクラ、イワタケソウ、コトウカンアオイ、ミノコバイモ、イチョウシダ、 などの貴重な植物が多数ある。

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左より順に、ミノコバイモ、ステゴビル、フキヤミツバ、イチョウシダ

最後に、地元のいなべ市の対応について一言ふれたい。 市へは、増殖する鹿への抜本的対策、登山道の整備、山荘のトイレ改築など緊急に手をうってほしい施策は数多いのであるが、行政の関心は実に低く実施は遅々として進んでいない(山荘のトイレは今年度着工予定で感謝!)。 行政にとって、郷土のイヌワシやカモシカ、山の花々などは、どうなっても構わないというのだろうか。

a0253180_16523122.jpg いま、筆者の手もとには、〈ふるさといなべ市の語り部〉編集の冊子「ふるさとの紹介」(平成21年)がある。 その第1頁には、「山紫水明の地いなべ市」の藤原岳を「全国屈指の花の山」の名で紹介し、「一年を通じて花が楽しめる自然の宝庫」と記されている。 同冊子の「序」には、「今日まで大事に守り育てられてきたことや語り継がれてきた有形無形の文化財を祖先からの贈り物ととらえ、私たちも後世に伝えていかなければなりません。  先人の心や知恵にふれ、郷土を愛し、郷土を守り育てていく市民、特に若い人たちにその願いを託したいのです。 たくさんの方々にいなべ市を知っていただきたいことと、美しい自然を守り、市民が躍動するいなべ市であってほしいという思いから、この小冊子を作成しました。」と綴られている。 
この語り部さん方の切々たる思いに対し、同じ地元の行政の方々は郷土の深刻な問題解決にもっと真摯にとりくんでいただきたく思う。 

「いなべ市の自然は市の大きなブランドだ」と強調された市長のもとにありながら、市の教育長の市議会定例会(平成25年第4回)での答弁は、「現地に行っていない」「太平洋セメント(株)の土地であり即答できない」といったまるで我関せずの内容であったようだ。 なにしろ何回も実施された県による藤原岳のアセスメントに市の関係職員がかつて一度も一人も傍聴に参加されてこなかった寒々とした事実にこそ、いなべ市の、藤原岳の自然保護に対する関心の薄さが痛感されるのだ。
「最後の川が汚染され、最後の魚が獲られたとき、初めて、我々は《お金を食べて生きていけない》ことに気づくのです。」 こんな言葉が私の胸に浮かんできて仕様がない。

全国各所でリストラのために廃棄されてきた大型セメントプラントと沈滞した企業城下町の実態は、一部マニアたちのツアー対象の画像としてネットの録画でいくらも見ることができる。 大企業によりかかるだけの無気力な依存体質では地方はいつまでたっても自立し強くなれない。 きれいな空気と水と自然の郷土を回復し、山の自然を活用し森林資源を見直した地方産業の再構築を構想しなければ地方の再生はありえない。 鉄とセメント重視から樹木の有効性活用への転換をはかり、森林資源を生かした再生エネルギー産業と新規の製材産業の復興という道も欧州先進国の先例から学ぶこともできる。 しかし、旧態已然の鉱山法や建築基準法などのしがらみや、製鉄業、セメント産業、新建材産業といった既得権益に支えられる日本の産業構造全体にも問題が多そうであり、立ちはだかる障害は大きい。 それに何と言っても、藤原岳は山全体が一私企業の所有物、私有物だという厳然たる現実がある。 

今の藤原岳は、「花の名山」どころか、唯一残された登山道は上部でずたずたになり、山肌は随所で崩落する荒れようであり、行政によるシカ放置によって完全に裸地化した頂上部の平原は、隣接するセメント鉱区から運ばれた外来植物が一面に蔓延する無惨な荒れ野と化している。
とても、「全国屈指の花の山」などと言えたものではなく、将来、入山禁止の山にもなりかねない。 
まず、全国で9倍に増えたというシカへの対策が急務であり、行政の無策・放置は怠慢であると声を大にして言いたい。

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 保水力を失い豪雨で亀裂ができた山肌、     裸地に進入し蔓延する外来種のハルザキヤマガラシ

      
                     (2014.01.09 記)

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本年より、藤原岳に関する耳情報をブログに掲載することにしました。 ご協力をおねがいします。


○ 天狗岩付近に親子のツキノワグマが現れた
藤原岳に写真撮影に来ていた亀山市のK氏が、平成25年12月5日に天狗岩付近で親グマ1頭と子グマ2頭に出くわしました。 あまり突然なことで驚き、じっとしていると親グマは右側に、子グマは左右に1頭づつ別れて林の中に消えた。 
万一、クマに出あったら、あわてない・さわがない・走って逃げない・抵抗しないなど十分に注意して下さい。 (いなべ市 M.S氏より)                     
2014.01.08 記

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